空から鳥目線なら道のデコボコは分からないけれど、見通し良いでしょうね♪

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デコボコしていると

守られる命があります

 

道路標識に亀の甲羅がひっくり返ったようなマークを見つけたら、

その下の車道には、ぼこんとした山が対岸の歩道に向かってかまぼこ状に膨れ上がっています。

ちょっと説明は下手ですが、それほど珍しい対策ではないかもしれません。

ただ、この道の先の歩道には、見事に咲き誇る桜の木があって、

季節になれば見惚れてしまうので要注意。

歩行者にとっても、向かってくる車のスピードが止まり、守られている気分になります。

 

【粗っぽい景色 繊細な人々】

近頃、ころころと政府の方針が緩まりつつ変わっていく中、

大通りでは数か所お酒屋さんの大きなガラスが割られたか?仮のベニヤ板が貼り付けてあったり、飲食店の持ち帰りゴミや食べ残し、不織布マスクが以前にも増して落ちていたりして、街の様子が荒々しく映ります。

交差点で停まる車に洗車を申し出たり、停車する運転手にダンボールの文字を見せてなにかお願い事をしています。

仕事場の近くには、カップを差し出して何かを口ずさんでいる人がいます。

わたしはその人の前を、週に何度も通り過ぎます。

夜、仕事が終わってバスを待つときには、

Have a good night🌠

いつも通りの笑顔と共に挨拶をすることもあります。

実は、お金が欲しいという言葉や合図に気づいたときに、わたしはかつて一度もお金を渡したことがありません。

会釈で通り過ぎるのが精いっぱいのわたしの行動です。

【えしゃく:和会通釈(わえつうしゃく)仏教用語

「難しいものを易しく直す」というもともとの意味から→「ちょうどいい加減の対応」に意味が変わっていったようです】

わたしの頭の中は常に戸惑って、自分のできることを考えあぐねて、自分が立ち止まって、お財布を開けて、お金を差し出すという行為ができないことにちょっと項垂れて、けれど、お金をあげることがこの人を助けるのかな、もともとのなにかが問題なんじゃないかな、国?教育?家庭?本人自身?抗えないもの。

お年寄りの方だったら、若い人だったら、子どもには裏で大人が指図していることも…、

通り過ぎる前に考えるには、時間も知識も足りなすぎます。

そして、あげくの果ては、会釈。

いや、会釈さえ見方によっては、なんだそれ?

欲しいものはそれじゃない!でしょう。

その前に、日本でいうデビットカードで所用が済むため、全く現金を持ち歩かなくなってしまった…これは、この国に暮らす多くの方がそういう暮らしの変化を遂げているはずです。バス車内やいくつかの店舗では現状、現金支払いが禁止されています。

と、さまざまな事を考える時間を費やします。

それでも、無駄な時間とは思えません。

思考停止よりも、目の前で起こることについて自分なりに考えることができること。

今の自分ができること。

世界のどこかで起きている「そういうことを考える」ということを、わたしの頭の中が経験できてよかったと思っています。

それでも、

それほど変わらない日常の様子ですが、人々の暮らし方に大きな影響があるのも感じます。

そしてまた、

世界で起こる大きな出来事。

偏りのある情報の溢れ出しに反応するのも要注意。

その大きな出来事が起こる前から、世界の中ではすでに大きな出来事はあちらこちらに起こっていて、わたしの知っている情報は大衆に知られるものだけ。本当は、もっとずっと苦しみの中にいる人がいることは省略されているという事実があることです。全部に反応することが大事、ということではなくて、

Bird-Eye’s-View

俯瞰【物事をふかんする視点】

空飛ぶ鳥の目線から見下ろしたら、

そうだね♪

道のデコボコも目立たないな。

むしろ、遠くから迫る車を早くから察知できるかも。

荒々しく見える土地には着陸したくないだろうな…。

それとも好奇心から、落ちている食べ物目がけて人間目線に降り立つのかな…。

 

空から見た鳥目線【俯瞰して物事をみる】なら、思うほどおっかなびっくり慌てたり、無意味に怖がったり、驚いたりと過剰に反応するほどでもない事に気づけるかもしれません。

様々な伝え方をする情報と伝える人のセンセーショナルな言い方につられて、

一緒になって

「えっええっ?」と。

自分の身に起こったように大騒ぎの大人を目の当たりにしたものだから、

わたしは、

ちょっと待てよ…。

わたしのできることはやっぱり、

Bird-Eye’s-View

どんな出来事もそういう見方が出来たら、

大概のことは慌てないでいいし、怖がらなくていい。

 

今、居るところで

今、いる人と

今、できることをやっています。

 

いつも通りに。

それを教えてくれるのは、やっぱり子どもたち。

 

 

【勝手に2000年代生まれ応援団】

だって、身近にいる2000年代生まれの人たち…

すでに俯瞰しています。

無関心なのではなくて、「この時代に合わないな」とか「古い映画か時代に憧れている?」とか。これは、正直に価値観の違いに気づいている感覚で、本当にこの時代の最善策かどうか?疑問に思うことを肌で直観している様子。

どちらの視点にも立つ中道【ちゅうどう:仏のことば「偏見、執着、煩悩を捨ててその場で見出す最善の方策。」決して「真ん中」のことではない

この感覚に似ていて、良いなぁと思うのです。

感情表現の薄さは感じますが、全くそれは欠点ではないです。

心の中にコチコチに思考停止されていない考え事が山積みのようです。

そのなかで、自分なりの思いをもっている生き物に見えます。(失礼!けれどもよりイキイキしている!という羨ましさからね♪)

ふんわりと思考停止してぼ~っとしているように見えたら、その後が大事。

ポンと発する彼らの言葉に耳を傾けてみると、とっても興味深いです。

かつての価値観を知る、塗れた、または洗脳されてしまったわたしができることは、

根掘り葉掘り聞きだすんじゃなくて

「どう考えてる?」

興味を持って話を聴きたい気持ちが伝わると思う存分に話してくれます。

わたしからのああだこうだの問いかけは不要のようです。

面白いです。

2000&2001の果実たちの心の考えも聴きたくなります。

果実たちはあの頃から中道が身に沁みていて、穏やかでしたから。

ある興味深い話によると、2000〜2005年生まれの子どもたちには密かな役割があるのだそうです。20世紀の物質文明に塗れて、その価値観に疲れてふと違和感に気づいた人たちを癒すために存在するのだとか。

その話を知って、とても大切に思うとともに、支えられていた感覚でいるわたしに納得しました。

因みに、2007年イノシシ🐗ガールズ(娘含む)は、またかなり違った猪突猛進な魅力を兼ね備えていて自由で不思議です。

by citron