まさかあの時代を良い記憶に書き換える作業を今このタイミングでできるなんてよかったです♪

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ごちそうさまでした♪

さよならクッキーをいただきました

「さよなら?」

そうなんです新たな始まりです

【2022年7月24日編集10月31日最終編集記事です】

お久しぶりです、みなさん🌳

わたしは昨日から待望の50です

新しい仕事に転職する前日の下書き記事を載せてみることにしました

以下、呆れて笑っちゃってください

 

 

 

 

女子大生だったということを思い出して

なぜだかわたし自身が内心の驚きにしばらく向き合っていました。

 

【高校を卒業した3月の終わり】

短大に行くことで「大学受験という周りに流されっぱなし活動」にケジメをつけようとしていました

記憶にないほどの卒業後のツーーーとした何もない日々

卒業式の夜に

18年間の過去の人生バイオリズムなるものを新聞紙の一面に大きく描いて

母を面白がらせたようでした(後の母談)

その翌日にはケーキ屋さんにアルバイトを申し込みに行っていて

またその翌日から初アルバイトが始まりました

 

日々曇り模様の印象が残るあの頃のある夜

大学から『補欠合格』のお誘い電話があってその場で通うことに決めました

補欠の自分で大学の入学式

補欠の自分で入学式から今に至るまでの友人に恵まれ

補欠の自分で授業を受け始めて

不満はいっちょ前

自分はもっと上の人間のはず…とも思い煩っていました

真剣に

バカみたいに

毎日の通学の電車でも補欠の自分が電車に乗っている

補欠の自分が教授の文句を言って強がっている

 

【大学一年の夏のラベル貼り】

高原野菜を収穫する住み込みのバイトをしたことがありました

一カ月の予定の所、半ばにあの状況に恐れおののいてしまって途中で終了しました

しかし人との出会いはあれこれと素晴らしかったです

その村に一軒しかない一度っきり立ち寄った居酒屋のおじさんのことばに激震が走りました。

その『他人からのラベル貼り』

粘着力の強いこと…!

その店主さん、たまたま同じ住み込みになったあちこちから集まった学生さんの大学名を一通り聞いてはコメントしていよいよわたし

「で、あなたは?」

○○○○大学

「え?知らないなぁ。聞いたことない大学だな、ちゃんとお勉強したの?」

いいえ

もっと辛辣でしたが忘れました

むずむずしていたわたしのなかにある世間とのずれでしょうか

一生懸命大人の言われるいい子でいようと目ん玉をぎゅっと紡いで眠り込んであの時代を生きていた自分に

一気に気づいて目が覚めて焦った感覚そのものでした

本当の自分は?

大学名でこれからもわたしは測られる?

そんなことを言う大人をぎゃふんと言わせるには?

そんな目線で見られる自分は本当のわたしかな?

わたしのアイデンティティ?わたしはこのまんまがわたしじゃー…

言いたいことはその時ではなくうんと後

自分自身のフィードバックにフラッシュバックの嵐

言葉にならずとも

ここで出た!

「なにくそ自分!根性」

原動力になって動き出すのでした

 

【その後の自分が動いたことあれこれ】

ESS英語劇研究会

スペイン語教室での活気ある大人たちとの交流

ひとり行動の幅を拡大

図書館に籠る日々

航空会社に直談判して地上勤務のアルバイト

アメリカホームステイ

この先に縁を感じない人との別れ

愛犬トイプードル「プティ(14年の命をありがとう)」との別れ

大学院へ進むこと

駆け抜けました

が・・・

 

 

そんなことよりも思い出した事実があったんです

補欠の自分

わたし自身を等身大に引き戻した現実

その結果本当のわたしで過ごすことができた!

という事実を掴んだ瞬間を経験しました

まるで

上から降ってくる矢を後ろを振り返りながら片手出したら

不意にぎゅっとつかんだ感覚から手のひらをそっと広げるような

 

わたしは女子の学びの世界で心地よく過ごすことが許されていたんだ

そしてそばにいる人たちその環境はとても温かかった

 

今になって温まる気持ちを受け取りました

尖っていたはず

勝手だったはず

みっともなかったはず

それなのにお蔭さまで有り難い気持ちをその頃の記憶に寄せることができました

まさに樹の木陰=お蔭さま

そっと佇んでいて気が付けば木陰に包んでくれていました

 

【大学院の論文を提出し終え無事修了する頃】

いったん休学して1年半学費を稼ぎ直して復学しました

教職に合格したことを聞きつけたかつて(補欠合格の)大学でお世話になった教授がわたしを研究室に招いてくださいました

そして後輩の方々に話をする場を設定してくださいました

そう

かつてバスの中でわたしが悪態をついた教授でした

恥ずかしいやら

情けないやら

申し訳ないやら

全てを尽くしても足りない中

「これからは同じ教職のお仲間ですね」と朗らかにおっしゃった

忘れられない時間をいただきました

すごく大きな遠心力の中を駆け巡る

そんなことがありました

 

 

 

じつは先日ちょうどぴったり1年半仕事をした日本食レストランを終了しました

【赤裸々:言っては何ですが「眠りについたままの古い価値観はびこる仕事場にあるほんの一部がスタッフの心を傷つけて悩ませ続けているんですよ」とは言わずに円満終了しました】

この先は新しいスタッフの方々が集まり、良い環境ができたらいいなと思っています

個人的には、今回のこと、また周囲の状況から、どの国の人も同じ国同士の人間、馴れ合いと思い込みによるズレが生じています。もしわたしがワーキングホリデーワーカーとして海を渡ってきた青年ならば、間違いなくローカルジョブを見つけて世界の中での働き方を知る機会を得たいなと考えています。

シェフさん方やマネージャーとの意思疎通はなかなか容易くなく、フルタイムで一日中を過ごすもののどこか蚊帳の外と自分で感じながら働いていましたが、ホールスタッフの19歳から21歳の方々とはお蔭さまでとても仕事のしやすい環境を作りあうことができました。気を遣わせてしまったなとは十分に承知しています。激務の中人手不足。オーナー夫婦とキッチンのみなさんは交替でコロナに罹患し10日間ほど療養休暇を取られていました。わたしもフルタイムの身分で息子の陽性感染で一週間看病休暇となりました。そんな中でも募集活動をそれほどなさっていない実情を学生さんは敏感に感じ、「ぼくたちでシフトが埋まればそれでなんとか行けると思っているみたい」とわたしは日々不満を聞いてはいましたが、直接は言えずにいたようでした。こんなふうに若干アンバランスな感情を持て余していたものですから、突如オーナーシェフから「この職場の一員なんだから・・・もうちょっと考えて働いてもらわないと」とは。ほほう、、、わたしはわたしの働く日をこなしておりました。それでも何か「一員としてしてほしいことの何か」が足りなかったんだろうな…

「あと一年でこの国の政党が入れ替わるから、移民局も政策を変えて永住権を得られるかもよ。この店でpatient(ちょっと我慢・忍耐)よ」

オーナー夫婦のこれらの珍しくもわたしへの話しかけに、なにかひんやりと寒の気が走りました。

不機嫌を丸出しにする光景はよく見るのですが、女子学生スタッフにきつく当たり「シフトの変更したらファイアーよ💢(クビ…)」そして後から優しく接する小技を目撃しました。

わたしの目には見えない風が吹いて背中を押されていきました。

あれよあれよとその後の風向きが変化します。

Daさんと息子がお世話になった前マネージャーさんから

五つ星ホテルの仕事へのお誘いです。

なんとわたしがこの国に来る前から検索していた手の届かないであろう五つ星ホテルのお仕事

ホスピタリティ(接客・接遇)を提供する

姿勢を正して身なりを整えて働ける

けれども裏方に徹する仕事

 

とにかく口に出したこともこのブログに書いたこともありません

『ホテル』というタイトルでしたか、そういうドラマがあったのですが、すごく残念なことにテレビを観ていないころの番組だったようで、今頃になって観たいと思ったいた矢先のことでした。

だからなおさら驚きの展開です。

なおさら、あのドラマ、観てみたいです。

身なりを整えて姿勢よく人の居心地をよくする仕事

これはどの仕事にも共通しているわたしなりの仕事観なんだなと改めて気づいていました

7月4日

留守電に気づき折り返して始まりました

 

翌日の朝9時にはエグゼクティブと面接

「今の仕事場に退職届を出す期間」3日間の猶予をいただき

8日に「2weeks notices(最低2週間前に退職届を提出する期日)」を経てギリギリの22日で退職を希望する届けを出しました

オーナー「はい、わかりました…」

マネージャー「意味が判らない…」

けれどもこれで受諾です

9日契約書とマニュアルがオンラインで届きました

この日から5日以内に全文を理解して署名をすべてにしたら提出

13日の夜に提出を完了しました

突然矢印が方向を変えていくことになったのです

 

【小学生時代から脈々とうずく特技】

学芸会では人の衣装から大道具から役作りからセリフを覚える練習まで裏方を担任の先生から任され引き受けて級友を持ち上げて自分は自分で細々と小役をこなす

そんなことを楽しんでいて自分の本分と思って誇らしくやっていたものです

 

古いシステム

何だかヘンだなと思っていたことが

ここにきてごろりんと

日本の歴史

教員免許更新制度

部活動指導移行

一斉就職活動から個々の時期に?

お金の使い方と存在価値、ローン、お給料、どこかおかしいと思っていたことです。

 

【昔からのわたしの勝手な感覚】

サラサラパラパラパラ・・・と軽い砂鉄のように自在にうごくイメージのお金

日本にいた頃は重たくてお金の臭いがあまり好きではありませんでした。

日本を大切にすることは古いシステム(戦後の昭和平成の眠りの時代)から新しくなる(目を覚まして自分を大事に周りを大事に思うシステムまさに縄文時代の人々の寛容さのあった日本)ということ

世界の人たちは日本はそういうところと知っていることを知りました

けれどこの20年日本を離れているわたしの周りにいるバブルのおじさんたちは古いシステムから変わりがありません。日本から来るワーホリの方々やこちらで生きる日本人の学生さんに相変わらずの「こういうもんだ」を強くぶつけています

日本から世界を知りに来ているのに、今だ眠れる時代の温泉に浸かるおじさん方が日本を離れてまでも押し付けるので日本の古いシステムをここでまた感じることになります

今の日本に生きている人たちとはちょい一昔前の雰囲気で。

「日本人なら・・・」

「普通は・・・」

すこしずれがあるのです。

先日は2年半前に働いていたというワーホリの女性が帰国前にごあいさつに来たとおっしゃてはいたのですが、わたしがたまたま仕事中で現れる直前の彼女の表情

最後にひとこと言ってやる💢の形相でした

わたしともう一人のバイトさんが現れた途端顔つきが緩まって

「お世話になりました~」

よかったです

あの形相のままあのオーナーにぶつけなくて。

言葉で人が傷つくとか理解できない」【過去の記事:言葉の包丁をも握る料理人の発言】と言い放つ人(オーナーシェフ)に怒りをぶつけても徒労に終わります

そして帰国後の後悔をするでしょう

そういう面でその方は立派だなと思いました

そしてわたしたちにも挨拶してくださいました

怒りは鎮めて最善のご自身で終えられたのではないかとわたしは勝手に思いたいです

その方の無事の帰国を心から願っています

 

なによりもその後が嫌なものでした

聞かれなくてよかったけれども、聞かされるのは嫌でした

 

「で、あの子の名前なんだった?あの頃金髪できつい顔してて、あちこちキラキラの印象しかないわ~」

・・・

・・・

・・・

居合わせた一同言葉になりませんでした

 

言葉の包丁

錆びついた後に突き刺さるのはご自分

ご用心

 

感応道交【かんのうどうこう】

同じトンネルの穴を掘ろうとはしていなかったということかな

双方の心が通じ合ってこそ善い仕事ができること

改めて自己の反省に活かしたいです

 

【もう今までのわたしを繰り返さない】

少し上の年齢の男性の言動がどうしてもわたしに暴力的に映るまたは突き刺さる理由は分かっています

・小学一年生の頃、年上の男子に追いかけられ、学校のプール開放で掴まれて溺れそうな恐怖心に煽られたこと

・教員初任時代に「昭和47年生まれの人間は」が口癖ですべての言動に「この年代は生意気で気に入らない」と言っていた昭和40年代男性先輩教諭が面倒だったこと

例)職員室の教職員全員の朝のお茶汲みをやるのは当然

上司より先に帰宅するのは無礼

その他、そこになぜ47年生まれが関係するのか分からないけども何をやっても「だから47年生まれは」とダメ出しをするも、首をかしげて無視をする我々(二人でしたが)…ひゃ

計り知れないけども愚か過ぎて忘れてしまいました

そして正直に言いますとかわいそうに映っていました

 

・節目の始まりに年上の男性の一撃を食らっているという特徴があります

どちらもしつこくていやらしかったです(幸い周りの子たちに紛れて避けることができました)

どちらも(この人たちよりも強くなったらいいんだ)とわたし自身粋がった部分があったことです

 

そしていつしか

「男女区別なく人と関われる」

「男子に負けていない」

「堂々としている」

こう言われると安堵していたんです

男子が手の届く高いところに自分の手も届く

技術科の授業で男子よりもはんだごてが上手くできる

男子卓球部に勝てる

男子と志望校を競っていても絶対に負けるもんか自分!と勝ち抜く

そして年齢に関係なく同性をとても大切に思い合っていたこと

特に高校以降には年上の女性の先輩や習い事のお仲間さんができまして、「50代のおじさん」とは対照的に今でもとても頼りにしています。

中学時代は同学年の女子に叩かれまして少々てこずった時期もあります

女子らしくを敢えて取り繕っていたことも多くあります

これは苦しかった

ねじ曲がってた~わたし

女子は文系とか

女子は事務職とか

女子は24歳で結婚とか

高校を卒業して短大生になって・・・

正直に言えば

補欠女子大生になって

わたしはわたしの自分スコアがいったんゼロに、いえいえマイナスになりました

そのことを認めたくはなかったけれどあの四年を思い返すタイミングがここで49で!来るとは思いもよりませんでした

補欠合格のわたしは「結構何者でもないんだな」と自覚しようにもヘンな見栄もありました

お嬢様と呼ばれる身分の人たちが多かったにもかかわらず

案外苦労しているんだなと奥深い話をしてくれる同期のお嬢様の生きづらさを知りました

そうしているうちに

わたしはあの女子大補欠人間時代を過ごすと決めたことで

すごくマイルドに角を削ぎ落とされ

そばで生きていたあの頃の人たちに励まされて生きてこられたんだなと

そういう記憶ばかりが蘇りました

要らない記憶だけがすっ飛んでいきました

女子の世界が案外住み心地の良い場所であったこと

非常に勝手に都合よく思い返しておりますが

あの決して広くはない校舎の中の日々

すごく救われていたことに

今さら!49歳現在-22歳卒業=27年前後を良い記憶として取り返せたことは

これから始まる仕事にとても影響がある気がします

よかったです

 

過去の記憶は今の自分が書き換えられる

未来は今の自分が作っている

むかしからの心の自答

 

今本当に生かされています

 

長すぎる『ぼんやり日記』に

あなたの時間をくれてありがとう♪

by citron