行くのを辞めた国

カテゴリー 果樹園での本音, 過去 citron

「消す」という漢字を習った後

アートな作品を生み出した

その集中力といったらね

こんな大作の出来上がり

日本語補習校小学3年生クラス学習中のとある授業にて

 

☆2020年11月18日に書き始めて【絶対非公開】で下書きに収めていた記事

本日書き換え修正して長々と公開します

お時間のある時に

だらだらと失礼します!

 

アメリカに行かないということ

 

記憶から消したわけじゃない

行くのを辞めただけ

アメリカペンシルヴァニア州ランカスター

 

わたしが職場復帰をする頃から約十年に渡って計画していた

DaさんIT再挑戦の地

考えに考えた

2006年の半年を暮らした

カナダトロント

まだ未知の世界

その他の英語圏

そう英語圏で探していた

 

今でこそ

かつてのわたしのホストファミリーのみなさんとSNSで繋がっている

けれども

もういないんだ

グランマも

グランパも

 

もしこの先の人生でもう一度

ランカスターを訪れる機会が得られたら

もう決めている

すること

行く場所

再会の人

そうしたら

もう

満足

 

生きるのはいつか死ぬためで

今生きていることに集中して

今生きる場所にいて

今自分が幸せと当たり前に人にちゃんと言えて

今目の前の人と真剣になれる

 

今の自分がしようとしていること

 

 

あのころの平和ボケした日本から来たぽわぽわした学生に(わたしのことだ)

毎日

毎食事

毎会話

魂を吹き込んでくれた

グランマ

グランパ

1994年初めての海外・一人旅・ホームステイ

あれからこんなにも経つのに

あの暮らしで何かがごろりと変わった

1999年から社会に出て

たくさんの出来事に揉まれてきたのに

国を変えて暮らしているのに

変わらない

行くのを辞めた国だけど

大切に思う人とそこで出会った大切な国

 

 

どうして辞めた?アメリカ

2018年からは海外に暮らすと決めたのは

息子が小さいときまたはそれ以前

2017年始まりあたりから

最後の地域選抜をDaさんとする中で

子どもと共に覚悟して暮らす条件にあてはまらなかったから

信頼し合えるホストファミリーのいる国アメリカではあったけども

それだけでは不安があった

グランマからはかつてあまりいい返事がなかったのも心に留めてあった

「ここは(おそらく人種の面で)難しいと思うの。」

やんわりと助言があった

「グランパに似た人を旦那さんにしたい気持ちは賛成だけどあなたと同じ日本人を見つけた方がいいと思うの。」

今ならその意味も理解している

若かった当時は素朴に(わたしはアメリカ人と結婚したらだめなのかな)と悲しく感じたけれど今は違う

何度も書き記しているけれど1994年初めての海外初めての空港を歩いた。多くの人種が違うことをわたしは全く気にかけていなかった。違うことが当たり前な空間にいることに心が弾んで仕方なかった。同じじゃない喜び。違うから知り合いたい。結婚するまでは、それ以来毎年毎シーズン働いたお金をその度のために使う質素な暮らし(仕事と住処の往復3分)と実家への送金で充実していた。違うことを感じる旅。違う世界があることをいつか伝えられる自分に替えていく旅。残念なことに教職の同僚には世界の本当の姿、海外の人が教えてくれるかつての日本の事実、海外への旅はただの遊びと思われがちでなかなか語れなかったけど、目の前の子どもたちには伝えたいことが詰まっていた。実際、先輩ご夫婦のお子さん(当時小学6年生女子)を帯同していったときには、その子の一瞬一瞬の表情がキラキラしていた。その子は後に海外に日本語を教えに赴き、大学院博士課程を取得し世界を伝える仕事に従事していると聞く。

さて、かつての教職時代には、未来に世界と向き合う生徒さんたちにお話ししたこと一緒に学んだこと、すべてが正しいわけじゃなく、自分の目で見て感じてきてほしいという思いは押し付けではなかっただろうか。鵜呑みにしてしまうような純粋な心をわたしの勝手な思いでコントロールしてしまってはいないだろうか。ただ世界はいいよという話と捉えられてしまっていないだろうか。そのつもりではなく、寧ろ自分の生きる国日本を見直すし愛おしくなる自分ができるんだという実感も伝わっているといいなと思うんだ。

 

英語はこの世に生まれてまだ若い言語だから、世界が流行り言葉に飛びつくように世界のみんなが使おうとしているだけだというのが、若き日の修士課程で結論めいたもの。だから『英語という世界に対する不安感を取り除く授業の実践』に基づいて実践してきた。偉い言語でもなければ英語ができたら頭がいいという格付けでもない。英語しかできない人のために日本語を第一言語に持つわたしたちが二つ目の言語として世界とつながるために身につけようとしている。世界に出れば日本語は特技と言っていいほどなんだ。現に世の中は第3言語を身につけようという流れがある。英語圏のこの国では第2、第3言語を身につけようという動きがようやく広まっている現状がある。この国でも日本語の取得は難しく、けれどアニメや漫画などのどの国よりも評価されている文化のおかげで、日本語を学びたい人が深い情熱を伝えてくる。ただ、日本語補習校で学ぶ小学生時代の子どもたちのなかでも日本で暮らす予定が今のところ無いことで、日本語を学ぶ不便さにどうしても出くわしてしまう時期もある。10代になると上手く敬語が使えないことなどが日本語を使う恥ずかしさになってしまい、日本語の使用を控える場面もある。けれど働き始める頃になると、日本語を生かして英語の世界でつなぐ役目を実感することに気づく人もいる。わたしは今まさにそういう若い人に教わっているところだ。両親とも日本人の彼女らがこの国で生まれながら日本語を学び続けていてくれたことで、わたしは英語の社会で今必要な英語を教えてもらいながらお金を作る(働く)ことができている。彼女らも「日本語」という教科を選択しこの国の全国学力試験で好成績を取り続けることができたと教えてくれた。大学進学のために必要な教科で確固とした得点源になるんだ。これは、とても誇りに思う事として胸に蓄えて良いし、確かな実力とすることができる。

思わず力がこもってしまったけれども、過去の歴史から見ても本当は日本人として世界の中にいることは堂々たるものでいていいんだと近頃ようやく感じている。「日本語英語」と言われてもそれはバカにされているのではなく一つの型だということなんだ。事実、とても聞き取りやすいそうなんだ。文法がある程度ちゃんとしていて(だってこちらで聞こえてくる英語は本当にぐっちゃぐちゃ)、シンプルな表現で(ちょっと直接的なところはアメリカ英語表現を学んできたから仕方がないけれども柔軟な日本人には入れ替え可能だ)相手に伝えようと目を見て話せる人懐こさがある日本人ならではの国民性ということだ。雰囲気でなんとなく日本人は日本人と分かると言う。なんだかんだとありがたい。

 

さてさて、、アメリカの話。どうして行くのを辞めたのか。今はどうかな。人種の違いが喜びとは無邪気には言えない風が吹いていて肌寒い。心の中ではあの頃みたいに快活に屈託なく向き合いたいのに、堂々と言えなくて少しうつむく気持ちになってしまうんだ。そうじゃないのに。画面の中じゃない生身の人間の外国人に出会える。その一方で同じアジア人だけど違う習慣や態度考え方の人種に出会うことが年々増えていることにも気づいていた。そして、警戒心が表れている日本人とも出会う。こちらが日本人と分かるやツンとした態度で風を切っていく姿は正直少々見苦しくもある。そして自分は大丈夫かなと振り返る機会を得ることに感謝するしかない。こういう場面が時にちくんとする事実もある。なんでだろう…。

そんな思いの変化にも気づきながら世界は動いている。

初めてのランカスターの町で英会話学校に通った。ランチの時間、グランマの手作りサンドウィッチとクッキーと丸ごとリンゴを持ってひとり、町の探検をしがてら広場でランチを広げて食べるのがワクワクしてたまらない楽しみだった。学校でできた多国籍の仲間と一緒に過ごすのとはまた別の時間を持った。今思い出すとそのあたりは危険な地区だったに違いない。大きな体つきの人たちが通りすがり、ハーイ!と声を掛けられたり、調子づいてこちらからも声を掛けてみたりして通り過ぎていく。それだけの交流が楽しくてグランマに言うと、驚いていた。あの驚き方は今思えば、強く言えないけれど日本人を預かる身のグランマからみてわたしの行動は危険な行為だったのだ。心配だったに違いない。けれど、当の本人のわたしは気づいていなかった。そのうち、わたしが英会話学校に飽きてしまって通わなくなった。それは秘密にしておいた。それまでは、定時に出掛けてはこっそり町を探検して裏通りの雑貨屋さんに通ったり、図書館を見つけて過ごしたり、町唯一の老舗デパートを巡ったり、裏通りの出会いと発見を楽しみ続けていた。そして程よく過ごして帰宅。雪が深まって、学校が休校になって、正直に伝えるその機も熟した。もう学校に行かないと決めた。グランマとグランマと雪籠り?しんしんと雪の降る音に似た時間が流れる暮らしを心から楽しんだ。そのわたしを見て、ふたりは面白がって喜んでくれた。雪の中お年寄りが車で送り迎えするのは大変なんだと分かっていた。ホームステイ中、人種のあれこれを感じずに過ごせたのは、この家族のおかげだったと思っている。グランマは町のあちこちでわたしを紹介し、スーパーマーケットで出会うあらゆる人にわたしを周知させるべく安全の包囲網を張ってくれていたのだ。実際に一人で出歩いた時には、そのお蔭かと思うほどにこれまで感じたことのない危険など感じることは一切なかった。守られていた。あのときとはまるで違うだろうけどもあの家族のいるアメリカをいつかもう一度だけ訪れたい。人間っていいなと思わせる自分になっていたいんだ。

 

もうひとつの行くのを辞めた国

カナダ トロント

2018年に入国する予定の頃には、多くの移民が流れている現状をニュースを読み漁って知っていた。

とても懐かしい新緑の頃のイメージのまま今も大切に思う国

トロントに初上陸して以来1週間暮らしていたB&B退去期限前日に見つかった地下のアパートは、半年暮らした結論、案外快適だった。

新緑が道路にこぼれるほどの長く続くあの通り

息子が大きくなって一緒に遊ぶのを楽しみにしていてくれた隣人の子どもたち

ハロウィンで出会った息子と同じかぼちゃの衣装を着た女の子

あなたたちならきれいに使うだろうからうちのアパートに引っ越しておいでよと言ってくれた大家さんの友だちご夫婦

涼むために通っていた近所のモール

アイスカップ(ミルクアイスコーヒーの味わい)とティムビッツ(ドーナツをくりぬいた丸いほうのドーナッツ)

黄色が目印のスーパーマーケット 教員を辞めたらいつかここで(スーパーマーケットで)働きたい!という思いが作られた場所

屋根修理に来た初めの頃は険悪で、その後ひょんな会話から気心知れる間柄になれたアイルランド出身のお孫さんが大好きな職人さん

日本から待ちわびていた手紙を踏みつけた足跡をつけ、その後わたしたちが帰国間際に渡しに来た意地悪な上の階の若夫婦 あの巨大なピザ箱と大量の炭酸飲料のペットボトルごみはうちじゃない!日本はもっと厳しいルールでごみを分別して気をつけて暮らしているんだ!(地下の我が家の隣の若者と容易に判明)と熱く日本人の意地を見せ主張してわたしは初の勝利を収めた?その事件以来おとなしくなったアイルランド出身若旦那とのバトルコミュニケーションからの大人として日本人として落としどころつけて決着和解の経緯あり

待ちわびていた手紙の主は、手紙を読む前にやってきた!?

そう、この5人家族はわたしが独身僻地勤務教職員住宅に暮らす頃、3年間の期限付きでこの地域に勤務したご主人(現在は地元に戻り校長となっている)に帯同してきた。あっというまに仲良しとなったママさんもまた出産直後まで中学体育教師だった。そして、3姉妹の長女(当時小6)を後にアメリカ旅に連れて行った。これはまた別の出来事が起こって珍事件続出のため別の機会に改めて記しておく。

この家族、あの頃SNSもなく連絡の取りようもないというのに、たった一回の国際電話でちゃちゃっと話しただけで…。

 

約束当日の夜、ガッッタゴロゴロゴロ…と屋外の頭上からがやがやと音がした。

本当に着いた!

大騒ぎ。

旦那さんは出発直前突然痛風?疑惑のまま飛行機に乗って到着してから痛風と断定。

我が息子のストローラー(ベビーカー)が杖代わりの生活が始まった。

食べ物も肉類は禁止。

トロントまで来て日本から持ってきたソーメンと野菜の質素な食生活が始まった。

狭い地下のアパートで5人家族

先に到着していたいとしの妹

小さい息子我が家3人

約1週間

一つ屋根の下

途中ナイアガラの旅にも出かけ

3姉妹は

「(中学)英語の教科書の実体験だ!」と後々まで語り継ぐほど目に心に焼き付けて

いつまでもあの時の大騒ぎの生活をいまだに繰り返し話すんだ

しかしよく連絡手段もさほど頻繁に出来ない中約束がかなうものだなと

SNSがあるから気軽に実行できるということでは無いことを実感して

この先もきっと人との繋がりはSNSだけじゃないところから発せられた糸を手繰り寄せて繋がっていくんだという考えを構築してしまった気がしている

人間だからね

 

 

いろいろ乗り越えてきたもんだ

もう一度訪れてできればしばらく暮らしてもいい国

 

 

どうして辞めた?トロント

我が家なりに年頃の子どもとともに覚悟して暮らす条件というものがある

ドラッグについての無知と恐れが親としてのわたしたちにはまだある

そしてドラッグを常用する状態になった我が子らと向き合う心構えが未熟であろう自分を想像している

どんな状況も受け入れて対処していく覚悟はあってもどうしても未知過ぎて無責任な自分のことも許せなくなるだろうな

ということで

敢えて人生に必要のないこと

とくに経験しなくてもよいこと

避けて通ってもいいんじゃない?ということもあるんじゃないかと考えた

 

それで今いる国

残念ではあるが事実

自殺する若者が多い

勉強をがっとする勢いはない

ごみが平気で落ちている

ゴミを拾う人もいるし拾う仕事を生業にしている人もゴミ箱を漁る人もいる

生理のとき生理用品を用意することや痛みのコントロールなどの対応ができないことが理由で学校や仕事を休むことが深く社会問題となっている

男性の更年期障害という深刻な問題に直面している

老人に手厳しいし老人も手厳しいには訳がある

ローカルと移民がなんとなく住み分けていて接点を持たないようにしている場面が水面下で存在する

原住民への理解を定着させる必要性に再々再度逼迫しているため教育機関を中心に必須教科として広め直している

 

まだまだ目に見えていないことが経った3年しかいないわたしにはありすぎる

そして間違いなく以上のことに幻滅していない

知ろうとしている

子どもたちも現実の生活で関わっている

例えがある

このパンデミックの中、自殺をしてしまったご兄弟を持つ友だちの様子が陰っていた。周囲はみんな変わらない日々を過ごせるようにと心を寄せているけど何もできないとも言っている。

それでいいんだと伝えている。

その子から息子に「親友っている?」と聞かれた時には答え方に困ったそうだけど、息子が天性の性質でできるのは相変わらずでいることだ。

生理で身動き取れない友だちがいても学校に来ない日があっても、学校に来た時にはお互いいつも通りでいられる状況なのは、この国にいる様々な事情の中で備えた人柄があるからだ。娘も昨年まで「リフレッシュデー」と我が家で名づけた(ちょっと学校休みたいなぁ)という気分を回復させる日の後もお互いさまの雰囲気で、なにも変わっていない、寧ろあの子もその子もそれぞれいろいろだったという。

 

 

日々を暮らしていくために考えた

行かないと決めた国

暮らすと決めた国

生まれて育った国

まだ知らない国

今いる国を大事に暮らしたら

次の国も

最後の国も

知らない国も

大事に出来る気がする

今の自分なら

 

(日本の本当が知りたいな)

今の自分の関心事

by citron