朝ごはん
食べた?
☆しばらくLINEなど連絡が途絶えます。
2000&2001のみなさん。大晦日カウントダウン間近ですが、わたしのスマッフォが見つかって無事帰ってくる奇跡を待ってしばらく音信が途絶えていると回しておいてください。ばかだなぁわたし。
フィジー産
このクラッカーに
トマトとカマンベールを乗せて
口中調味【こうちゅうちょうみ】
すると
このクラッカー
ハンバーガーのお味がするんだそうだ
息子の舌は
幼いころから
そんなことをいう
高級なものは食べさせてあげられないけれど
食べ物には感謝できる心があるといいなとは思っている
母citron(わたしです)より
by citron
◆赤裸々仕事日記◆
スマッフォが消えた件と大いに関連している。結論から言えば、仕事はきっちり時間で帰してくれるものの、バスの乗り換えが上手く接続せず、遠回りをしても快適を選んだ結果、思わぬ道草をして慌ててバスに乗り、気が緩んだところでスマッフォ、銀行カード、図書館カードスーパーマーケットカードをまとめたお気に入りのがま口財布を置き去りにした模様。スルスル素材ののパーカーを羽織ったこと、道草の買い物でいつもはしないポケットにがま口財布、手にはバスが来ていて車内で飲めなくなってしまった(飲食は禁止事項)アイスコーヒー、バスに飛び乗り気が緩む、この一連の動作が連動してまさかの一番要注意していたものを紛失してしまったということ。
以降つらつらと書きとどめておく。
昨晩は夕方5時半から夜のロースター(シフトと呼ばれるものだそうだ)で10時きっちりになるとシェフから「はい、おわり。おつかれさま!」っと切り上げる。バス停まで100歩もない。余裕だ!が、信号と共にバスも一足先に無情にもカーブをして停留せずに去って行った。そこから30分、冷える夏の夜(15℃)スルスルした素材のパーカーを羽織ってぼけーっとして待っていた。その間にものどが枯渇。(水が買える店がある駅まで行こう)心の中で決定した。シティまで行って始発停留所の近くなら店も開いているだろうな。車内の混雑なしでゆったり帰ろう。二階建てバスは夜になると車内も青薄暗くなりエアコンも程々に心地がいい。いろいろ考えて30分待ちも持ち堪えた。のどの枯渇も眠気も腹ペコで賄いご飯を食べたくなる衝動も。
シティに到着すると思いのほかクリスマスの景色で、いつもは遠くからほっそりとした姿を確認している程度のタワーも街に埋もれて大きくそびえ立ち、クリスマスツリーカラーできれいだった。(たまには夜のシティに来るのもいいなっ。家族で、もうティーンエイジャーの子どもたちもこの先の慣らしに面白いかも)気が大きくなっている。枯渇警報ののどの渇きがピークに来たのか、(ご褒美!)なんて気が大きくなったまま、Daさん息子がお気に入りのケバブやさんに立ち寄った。水を売るストアはどこも閉まっていたからだ。そこのメニューは必ずそそられる。何より店員さんがどの人に当たっても心地がいい。キャッシャー(レジの人)に次の人と呼ばれてしまって、実は注文が定まっていなかった。隣の美味しそうなバーガーやこの店の美味しいスウィーツ、ミックスフレッシュフルーツジュース。悩んだまま、水、できればスパークリング(甘くないただの炭酸水)が欲しいだけのわたしはたずねた。冷たいのみものが欲しいと。そうしたら、アイスコーヒーにしてあげるよ。砂糖なしでミルクでいい?なんとさっさとまさに好みそのものを言い当てられたものだからパーフェクト!とだけ言えば済んだ。そしてお値段4ドルとは!(5ドル以上なら枯渇を我慢して家の美味しいコーヒーのがいい。水なんて家でBritaで出した水が冷やしてあるじゃないか…)水をペットボトルで買うとだいたい3.5ドル。ケバブの美味しい店で水を買うなんてもったいないじゃない?もう、社会人なんだし、毎週お給料が入ってくるんだ。けれども自由なお金じゃないんだった!それにしても仕事開始の契約の際、肝心な時給を聞くのを忘れて仕事が始まったけど、payslip【ペイスリップ:給与明細】を見たら思ったより時給が良くて驚いた自分に驚いた。(こういうところがどうかしている。時給を聞かずに仕事を始めるなんて。そもそも、そこをポイントにして仕事は決めるんじゃないの?)タイムカードならぬ手書きのシートに毎回自分の勤務開始時間終了時間を自分で書くようになっている。時間を延長したらその通りの時間を書いてその場でマネージャーにサインをもらう。この処理を忘れずに帰宅する癖にするのは難しい。
日本で勤務していた2010年くらいからはタイムカードのように毎日の勤務時間を月の終わりになってやっとまとめて記入する形式的な作業が加わった。それまでは、印鑑で毎朝お上の机のそばにある出勤簿に印を押す、なんてやってはいられないものだから、月末または帳簿点検なるものの前にお上から急かされまとめて何か月分も印鑑を一気に押すという…。本当に煩雑で、しかも取り立てが厳しい。正直なところ、形式だけのものそこまできっちり(皆提出・どの学年が早く全員揃うか競う指示を出す)整える必要あるのかなと思うくらい事務的なのに子ども扱いそのもの「早く出して―」と。お上から心に迫るコメントが戻ってくるわけでも困りごとの解決ができるほど清々しい回答もなしだ。
ある時期からは週ごとに反省文を5,6行添えて次週の授業行事予定を立ててお上に提出するようになった。しかし、これが曲者。反省文コーナーは誰かの告げ口苦情書き込み欄のようになっていたらしいと後に知ることになる。citron疎すぎる…。そしてお上からは「(月100時間残業を超えない)工夫をしなさい」月100時間残業と正直に自動的に超過計算が出た時は長の部屋へ呼ばれる。工夫、とは、とある工夫をすること、とも言われてさすがの私も気づく。そして再提出をする。しかしそれと同時に恐ろしい過去の記憶にも直結したものだから、自分の個人の手帳にはそれ以来、本当の勤務時間と内容を記すようにして家族に残すものを本気で用意していた時もあった。教職3年目の秋、先輩でペアを組んでいた10歳上のパパさん先生、生徒をグラウンドで追いかけそのまま亡くなられた。簡単にはお話できない、その後も忘れることのない私の誓いがそこにある。
とある工夫をする必要がなくなったのは教職人生最後の1年7か月だけで、わたし自身も実行に移すと決めた。教職人生最後の1年と数か月は自分で変えた。職場も異動になったところだったし、そこはなんと20代から30代前半のわたしのしたい放題な授業を面白がって賛同してくださった方が好調いや、校長になっていた職場だった。ここでその前の職場について言及すると、暮らしてもいいかなと思えるような地域の雰囲気で住んでいる方にはそういう面ばかりでないことも百も承知。実際暮らすとあらばあれこれあるんだ、これが日本の世間という世界観だ。いまでもあの土地なら静かに穏やかに暮らせるかなと思いを馳せることもある。そこに暮らす一人ひとり、温かかったのを言葉や表情で受け取っていたからだ。
さて、最後の職場。ここでの勤務時間についてここは触れる。自分で変えていったこと。できない自分に敢えて成り下がることだった。担任、主任、部活、そして超過勤務残業時間80時間働かないおばちゃん教員に。月45時間を記録しつづけるように。
帰宅を部活終了後職員室の自席を整頓して「お先に失礼しますっ」と返事も冷たかろう視線も振り向くことなくまとめて一度に挨拶できちゃう声で。おばちゃん、ずるいくらいで、挨拶の返事を期待することなく!「はやっ」とか言う声に動じずに。着替えてすぐ更衣室から帰宅した。あるとき「いいなぁ」と若い体育科の女性に言われた。本当はね、わたしにもやりたい公務分掌、主任の仕事、担任、生徒ひとりひとりのあれこれ、保護者さんとの繋がり、苦じゃないんだ。「代わって!」そう切り替えしたこともある。人と代わりたい、羨ましいなど考えないけれど(面倒な自分だけどこの自分という物体でいいと思っているから)、けれど教職に関してはそういう思いもあった。ま、いっか。と思っている。
実際月45時間の残業に収めるのは難しい。我が家はDaさんのおかげで早く帰らなくちゃいけないことはなかった。ご飯は毎食作れるし私より上手だ。こどもも困ることは無いし、むしろ安心安全だったのが絶対的に私と日中過ごすよりも守られることは男性ならではの許容の広さのすごいことだと思っていた。私の不注意や考えすぎでこどもが縮こまっちゃうところだったに違いない。共同生活者、そして頼りにしている相方のお陰様でしかなかった。わたしが教職が好きなのを知っている数少ない理解者でもあった。
それでも、45時間に収めるにはあちこちに負担がかかることを罪悪感のようにして遂行することは望ましくない。この先、未来の先生たちが困ることになると真剣に考えていた。懐かしい。
時代が急速に変わったらいい。これから生きていく人がこれまでの人のことを大切にして、それでも自分たちが生きる時代に替えてほしい。今若い人は本当にやわらかい気持ちの持ち主に育っていて賢くて強い。その中で生きていられる自分でいたい。そういう人たちを大切に生かせる先に生まれた大人でいたい。
次の時代に進んでいきたい。