免許更新にcitronにとって人間として社会貢献の発展はあるのか

カテゴリー 果樹園での本音, 毒味毒観citron

毒が抜けきっていないようです

今から抜きます

☆今回の記事は久々に毒が抜けきっていない部分が再発しました。

穏やかに果樹園での仕事(教職のこと)【固定ページに詳細】を見守りたい方・純粋な気持ちで教職を得たい方・citron(わたしです)からこんな毒話なんて聞きたくない方(かつての果樹園の果実たち)はこの記事をスキップ(*以下を読み続けないで飛ばしてという意味です)してくださいね。我が子らは母にもこんな側面もあったのかと笑い飛ばしてお付き合いを。(あったのです…)

【教員免許更新制度2回目も受講するのですか・・・とお尋ねしたい編】

 

 

次の免許更新が気になっています。

わたしは48歳だからあと4年ほどで2回目の免許更新時期がやってきそうです。前回のことを思い出して書き出しますが、以前ひそかにわたしは母親に「もう教員免許更新をするのはやめようかな」そう思い切って伝えた時期がありました。43歳頃のことです。自分の決断で良いはずなのに、なぜ母に意を決して話をしたかというと…

教職の醍醐味、生徒と過ごす毎日のあれほどの面白さを手放して、それを超えるほどの違和感を解消しきれないちっぽけな器の自分に苦しんでいたからでしょう。わたしも純粋だったのです。

 

最後の最後は、両親に感謝する思いのみで受講をし完了しました。

教職を続けたかったからでもあるのですが、突っ走っているときに免許更新という機会が目の前に迫ると一旦足を留められる感覚に陥ったのです。

いとしの妹は更新を断念しました。

それもすっぱり潔く。

美術教師、講師はこんなもんよ、とは一言も言わず次の道へ潔く。

上手に生徒たちとの信頼関係を築ける先生だったのになぁ…。勿体ない。

できることなら取り戻しその権利を復活させてあげたいと姉は思っているよ。

今となっては、わたしこそ更新できるかは怪しいけれども。

 

さて、

2度目の免許更新52歳頃にはまた受講するのでしょうか。

 

大学受験時代、すでに見え隠れしていたバブル崩壊の兆しをそうとも感じず、バブルに生きるちょっとなんだか生き方や生活の派手さの違いをうすうすとは感じていた一つ二つさらに上の先輩方に倣って受験をしまくり、教員免許も取っておこうと私立の大学へ進んだ、ずいぶん身勝手な子ども時代の無知が恥ずかしいほど押し寄せる胸のうち。

教員免許取得の費用、つまり4年制大学に入学すること、教職課程含めて、英語よりも関心の強かった夜間に通うスペイン語教室、数々の大学入試費用含めてずいぶんと当たり前のように水のように、お金を費やしてもらっていたことをその頃になってようやく押し寄せる大波のようにいっぱいに思い出していました。わたし自身が親になっていたこともあったからです。

あれだけお金をかけてもらって、教職を選ぶ権利を用意してもらって、さすがに自分で稼いで大学院を終えることでやっと教職に進む自分に決心がついたのに、あの頃。「免許更新するのはもうやめようかな」と弱音を吐いてしまっていました。本当の気持ちを折りたたんで強気のつもりが弱音だと自分に思い込ませていた自分にも、今となっては違和感を覚えて一笑。結局は免許更新を済ませている、というどこか強さ逞しさがあったわけです。

 

手続きは簡単で、勤務する教頭が資料を揃え市の教育委員会に提出し、「この日に開会式があるから行ってね」との軽いお知らせがあるだけです。また、この市は教職員が支払う費用は無く、それを見越して自費で受講する必要のある隣の市から非常勤講師としてこの市を選ぶ人もいました。けれども、どうなんでしょう。国の指定する免許更新制度でどうして支払い金額や助成の有無が市ごとに生じるのか…この制度で本当に不適格者を見つけ出して子どもたちに安全な教育を与えられていたのか…教職員の不適格だけが悪なのか…国民の総意でこの制度を始めたというけれど、国民の皆さんは先生という人間に嫌気がさしてしまったのかな。わたしも実際、子ども時代から先生という集団が苦手でした。どう接していいか分からなくて、妙によそよそしくて親しげには打ち解けられなかった気がします。教職についてからの考えは、生徒にとって保護者にとって一般的に嫌な教員には免許を更新しても嫌、免許更新するためのすり抜ける能力があっても不適格な教員はいます。自分もそんな類に入るのは、どういうときだろうか。こんな授業試してみたら、なにか反対されるかな…考えなくはありませんでした。生徒の(あ、わかった!え?そういうこと?)そんな顔が見たくて思い切って実践してみたいものですが、あれこれのことも考えてしまうものでした。結果やってみてしまったものも少なくないのですが、案外何てことないことのが大半でした。その実践、まずいんじゃない?という声を聞かずにいられただけかもしれませんが。授業を抜け駆け観察するのがお得意な校長に目撃されるも、励まされること多々。そうやって多くの教員は叱咤激励されるのですが、しかし校長がそれを職員会で気軽に伝達しようものなら、他の教員は面白くないようで意地悪になる、という空気は教師にもあるんです。人間らしい一面です。その仕打ちから切り抜ける方法は、謙虚に相変わらず生徒に向き合うのみ。仕打ちを向ける同僚にこそ挨拶を欠かさずこちらから。最大限の笑顔で。相手の返事は要らない期待しない!とても気楽になれてさらに挨拶できる自分が気分いいんです。

 

そして、どうでしょう。

授業の合間にスマッフォのゲームをこなしている教員は。生徒の髪を厳しく問い詰める生徒指導や生活指導を担当していてもそうでなくても髪を染めたり禁止するヘアスタイルを自らする教員は。暴力の代わりに言葉で木端微塵に責め立てる牙を持つ教員は。夜中のコンビニでニタニタとこどもにはヒミツの雑誌の立ち読みをする教員は。彼氏のバイクの後ろに乗っていて交通事故を起こす教員は。子どもの給食の残菜が多いクラスの担任が校内対抗「残菜ゼロクラス」一番になるべく檄を飛ばし感情溢れんばかり生徒の机に給食のおかずを盛ってやったと武勇姿を語る教員は。若い先生の服装が気に入らないからとたわいのないことでお小言を囁く教員は。「あなたの代わりはいくらでもいる」とお母さん教員を辞めさせるべく言葉を優しく言えばいいと思っている教員は。「部活や仕事をさぼりたかったら妊婦になることだよ」と様々な事情を抱える教職員の前で助言する教員は。「3万円以上の象牙の印鑑を作ってくれない旦那とは別れた方がいい」と新婚の先生に人生のアドバイスをする事務長は。教員夫婦の旦那さん教員が子育てのために「奥さんを辞めさせた、あ、辞めてもらった」と言う教員は(男の先生は奥さんである先生より教師に的確だと判断されているという事なのか。奥さんこそ生徒にとって良い教員ではないかとは思わないのか、生徒さんに信頼されている姿が魅力的だから結婚を決めたのではないか興味深いが尋ねたことがなかった)『口を出させない雰囲気の中、自分(生徒)に言い分があるにもかかわらずそれを言い訳だと一喝し自分に都合の悪いことは避けて感情を一方的にぶつけられたと今でも思います。あの人(教師)の本心は知りませんが、おかげであんな大人にはなりたくない(という見本に会えた)と思うことさえできました。』というかつての生徒から人生の見本とされている教員は。休日部活を終日行う事で休日部活動手当をしっかりもらうんだと放言しつつ提出期限の切れた書類を必死に作成して部活の監督をせずに職員室のPCから離れない教員は。お尻や下着が透けて見えてしまう服装の教員やそういう服装に関しては文句を言わずそれを寧ろ眺めている教員は。『あの頃の厳しい指導、忘れません!』と精一杯の言葉であの頃の傷ついた心を強く優しく恨まぬよう修復できた生徒をかつて酷く扱った自分の指導方法は正しかったと美化して部活を強くした、優勝させたというプライドでふんぞり返っている教員は。「休日部活は最低限の時間帯で行い、子どもも家で昼寝しろ」という教員は。実はそんな休日に教職員という身を離れてボランティアや音楽による慰問をしている教員は。子どもの学校の交通当番、地区のゴミ出し当番でときどき遅れて出勤する教員は。教職員の反省会、歓迎会、学年会という飲み会が嫌いで早々に帰宅する教員は。子どもが産まれたてで、家族のそばにいたいがために教職員旅行絶対参加と言われる中断った教員は。学校で寝泊まりする教員は。タバコ部屋が校舎内に3か所も4か所もあるのに妊婦や女性の体調不良で休憩する部屋がなく教室の隅で横たえる教員は。部活時間の合間に生徒の生活の記録に丁寧に読んで返事を添えている教員は。普通に働く教員はどんな教員。そして、教職を離れる教員は。

免許更新講習を受けて改善されることでしょうか。

どの先生が「不適格者」で免許が剥奪されるのでしょうか。

 

わたしだったのかもしれません。

が、

わたしはためらいながら免許更新をました。

そして、海外では、県外では、一切この免許は活かされません。

せっかく毎年何度か受けていたAED講習でさえも世界基準と同等の英語で受講証明が出されていれば海外でも有効なのですが、受けたという経験だけで履歴書に記入するだけです。

長い教職歴も海外ではなぜ同じ場所、地位、ポジションでそんなにも長く居続けたのか?あまり価値を見出しません。マルチタスクのような仕事では履歴書は通りません。海外に出たのだから当たり前。その国の教育を熟知した教員が教育に携わることは大事なことだと身に染みています。

分かっている。わたし自身のことを棚に上げて…敢えて何を不適格というのか彷徨いました。

新聞に載ってしまうような出来事を起こした教職員を容疑者と呼び、そのことを議題に全職員が発言を求められこの発言は市教委に報告すると設定され、各校で職員会議が行われた衝撃は深く心を突いて消えません。そんな会議なら、この先も純粋に教職を全うすることができる方法を得たかったです。集中して目の前の子どもたちに向かっていける純粋な教職人生を貫くための団結をしたかった。ただ、その出来事を防ぐには「免許更新すれば解消される!」とは考えも及びませんでした。

 

・・・

相変わらず、独りよがりな文章が走っていますが、続けて失礼します。

 

・・・

 

世間の「夏休み」と呼ばれる授業の無い研修と部活の日々が始まりました。

免許更新講習含めてあらゆる研修が一気に予定表を埋め尽くしました。わたしは加えて朝の6時から近所の子たち集めたりうちの子らだけだったりのラジオ体操と運動の時間。7時から10時までお手伝い大量の宿題・勉強をする子供らの傍らで洗濯掃除あれやこれや。実際にはわたしの勤務は10時すぎから夕方4時前で切り上げて年休や与えられた休暇制度を駆使していました。朝部活から設定して夕方4時まできちんと勤務される先生もいました。後ろめたく感じる気持ちは拭い去れないままでしたが、これからの先生たちが年休を取りやすいようにやってみようかなという気持ちが湧きました。「そんなに年休を取る先生はいないよ。前例がないから。」とこれまでは言われていたけど、その前例になってやろうと途中からは気が引ける気持ちをこらえて、人が何か言うことを直接言われた時はその声に向き合えばいいんだと気を強くして思い切って細切れな時間を年休届けに記入してバカ正直に。ありがたいのは夕方からの習い事へは主にDaさん。とはいえ研修や勤務の日々を含め子らが起きている間の子育てはすべてDaさんの役割でした。

八月の世間の「お盆」休日の1週間にポスター、読書感想文、作文、実験、工作、そしてお墓参り。昼下がりにはプールや海に連れて行ったり、ぼーっとしに河原の公園にレジャーシートを敷いて遊んだり本を読んだりできたらなぁという夏休みは案外実現できたかな…!

 

講習は、教育委員会から講師として委託された教員や教育委員会の先生方が各講座で講義をされました。特に真新しい話題でもなく(やっぱりそうだったのか)(やっぱりそれでよかったんだ)かつてわたし自身が手探りで現場で実践してみたことなど似たようなことを言葉でスクリーンで説明されて過去に実践したことが確認・肯定できたことでした。わたし程度で申し訳なかったのですが、本当に多くの先生はそうなのではなかったかと思うのです。日ごろから活力が有って本当に子どもの一瞬一瞬の表情をつかもうと奮闘されていましたから。夏休みの30時間の講習。他の研修や英語スピーチコンテスト・教科主任会・教科別研修…もこなしつつ。あ、炎天下毎日ある部活…。これにはさすがになんだろねぇという様子でしたが。

 

「不適格教員」をどうやってあぶりだすのか。どんなことをしてしまったりどんな思想を持って発言してしまったりすると不適格なのか。寧ろこうして日々生徒たちと向き合っているだけでは技量が足りないのかと真摯に受け止めようと努めてはいたものの、なにがいけないと言われるのかどうも上の人(のプライドという欠点弱点…)次第なところもあって本当に身が縮こまりそうでした。わたしはかつての大規模校で担任をしていた時、保護者の方から言い放たれたことがあったんです。『あなた、もっとメンタルケアの勉強なさったら???!』強く言われたことを今も心に留めています。そしてその衝撃は間違いなく感謝に代わっていることにも気づいています。2009年度から始まった「教員免許更新制」こういう教師を不適格というのかな、学び直したいとこの頃から思うようになっていたかもしれません。とはいっても案外お構いなく目の前に集中して目の前の生活を崩さないようにとやりこなしていました。生徒の前ではそんなことは言ってられず全身全霊本気で暑苦しい感じも妙に冷めて伺っているときも。授業で勝負、ここは譲れませんが!とにかく未来の教育がキラキラして見えるほどの内容など一切ない講義でありながら、言葉の端を探って講師の先生方の求める回答を連ねたレポートを完成させて試験をクリアしていきました。評価がつけられるというお話も開会式で発表されていました。

どうもおかしかったのです。本物の教師になりたいのに「不適格者」にならないように過ごす教師?面白くないなぁ…。気持ちがめげてしまいそうでした。なぁんて!そうでもなく居られたのは、事務員さんに我が家の事情を何から何まで理解してもらえる信頼関係、給食職員の方のさりげない会話からもらう我が子や生徒たちへの目線やアドバイス、校務員さんの鋭い監察眼と絶大なる支え、気心知れた阿吽で動ける同僚も時にはいました。目の前の生徒さんが分からなかったことがちょっとわかったかもしれない瞬間の目のキラキラ、心の底を見せてくれることに謙虚になれる出来事、保護者ママさんたちとの腹を割った会話、我が子らが学校に行くのを楽しんでいる様子に救われていたからでした。Daさんの支えで成り立っていたことは間違いないです。忘れちゃいません。

 

年度末までには、教頭に言われるまま様々な手続きと数千円を手数料として支払い、免許更新が終了された通知を受け取りました。

・・・

わたしが教職についた1999年度は採用人数が極端に少なく、市内100人程度が同期の人数だったと記憶しています。民間人からの面接官を起用した年でもあり教員試験会場にテレビ局が取材に来ていました。わたしの教職人生のスタートは僻地赴任でしたので同期は6名。大学卒22歳の同期とは4歳離れていましたが、実際にわたしの顔見知りとなった新任教員は年齢様々な魅力的な個性や過去や技の持ち主が多くいました。その頃には、免許更新が必要になるとは思いもしませんでした。けれども、どうにも雲行きが怪しい教育現場を肌身で感じていました。教職員給与の見直し(自腹のあれこれ)、「子どもの居場所」作り(決して部活動に縛ることじゃない)、外国籍児童生徒(教育は必須)、大切なことが求められている前から先輩先生たちは分かっていて、動いていて、心を費やしていて、現場には時代が変わるための合図がありました。

 

そして、わたしの新任時代を「田舎の先生らしく」純粋な心をもって支えてくださっていた、あらゆるた主任を抱えていた先生が、ある日、生徒の目の前で、生徒に全力で向き合う最中、亡くなりました。労災認定を働きかけ獲得するまでの資料作成の膨大な時間と労力。尊い一人の命。何を心に残して進むのが教育でしょうか。

 

 

終わります。

 

by  citron