
いたいた🐈
🌠2300字以上にも及ぶ長文のため、お時間あるときに♪
【毒味毒観:「洗脳」に反応】
教職人生12年を過ぎた38歳頃のわたしが「洗脳する側」に配置されたのは初めての出来事でした。
わぁ、10年以上も前のこと!
それほどに強烈だったわたしが「洗脳する人」とされた出来事がありました。
校舎内の廊下での状況をわたしに伝えてきた先生がいました。
わたしと同じ学年で同じ教科を担当する新任の先生に、他学年で同じ教科担当の先生から何か言われていた場面だったそうです。
一大事のように。大事件のように。深刻な顔をして。
当のわたし、こうして他人伝えなので、どこか絵空事でもあり、追及する気もなく、
あぁそういうふうに見えるんだ…
そういう状況でこの言葉に遭遇したこの先生は、驚いただろうな…「洗脳」なんてねぇ。
という気の抜けた感覚とともに溶けて消えたのは覚えています。
どうやら新任の先生がわたしと似た授業の形態だったか、生徒さんへの価値観の伝え方だったか、それが何か気に懸ったからだと聞いています。
問い詰められていた新任の先生には、とても失礼な決めつけだなという点で、わたしは(その言い方はよくないな)という考えを持ちました。
新任の先生ご本人と直接話をしましたら、
「僕は洗脳されていると思いませんし、citron(わたしです)から学んだことを自分の判断で行っています!」
とても爽やかに自律した強い意志を見せてくれて嬉しかったです。
この先生の個性は、着任して早くも充分生徒さんに浸透していて、オリジナルだな~🎶とわたしも良い影響を受けていましたから。
似たような授業の形態を行うのはある程度お互いにあります。
わたしこそ、若い先生から新しい教授法を学んだり、知識のアップデート(更新)をさせてもらえたりしました。
若い先生も、わたしから良いも古いも悪いも珍しくて奇抜な指導法も、なにかを学んでご自身の授業に生かしていたとのことです。
だから、この先生と同じ学年を組むのはとても楽しかったです。
学び合えると分かっていたからです。
同じ学年で10クラス近くあると指導法のすり合わせは大事です。2.3人の教員がそれぞれ個性はあれ、程度の違う指導法をしていれば、400人の生徒さんに同等以上の知識や経験を提供できないから、教員同士話し合いますし、互いのクラスでティームティーチング【一クラスの授業に主に前に立って教える人とサポート的に教室全体を眺めて支える人とに役割分担をして授業を運営します】をしていますと、使える技は使って教授法を生かし合って同じ活動を提供する場面もあります。
この事件‼?のお蔭でなおさら「良い授業を作っていこうね♪」という共感を確認できる機会になってラッキーでした。
それにしても、「洗脳」…。
何か、不都合でもあったのでしょうか。
それもまた、わたしになんらかの影響力があった?ということにしておこうかな。
もう過去のことなので、今は良い方に思うように変換しています。
わたしからしたら、教員同士が影響し合って学年全体の子どもたちに公平に、より面白がって英語を学ぶ機会が提供できたらそれでよかったです。結構シンプル(カランカランの簡素)なんです。わたしの脳みそ。
そういう感覚でいたので、第一報を受けた時には正直に言うとショックでしたけれども。
もう、たいしたことでもなくなっていることをここで確認できました。
こんなわたしの記憶からぶり返した過去もあります。
わたしにとって都合よく変換し直して、終わりにしています。
だから、一緒にその変容を見届けてくれてありがとう。
洗脳というのでしょうか
けれども、むかしからどこか気をつけないとな…と思っていた子ども時代があったのも事実です。
わたしが学級委員や班長を務めた時、
クラスメイトや班の子たちみんなが「右に倣え(ならえ)」でシャキッと揃うという経験をしています。
とても恐ろしかったです。
みんなのおかげで整っているように見えてスッキリするのですが、
わたしの一言でみんながひとつになってしまう…。
その言葉の力。
わたしが「ヒトラー」みたいだったらどうしよう、と。真剣に。
ものすごいビームを発して、みんなをロボットにしちゃわないか。
そこから逃れたくて、敢えてふざけたリーダーを演じていたこともありました。
指示をすることをためらうような時もありました。
全校合唱で指揮者をするようにと頼まれた中学一年生の時には、頑なに断ってしまったことはずっとしこりになっています。
いつからか、人前に立って先導できる自分を表出しないようにしてきていたことに気づきました。
先生のように強い言動で人を操作するのは嫌だなと感じたりもして。
恐ろしい力だなという気持ちから、【過去の記事:2019年11月1日】
知らないうちに度を超えた謙虚さや
過度な遠慮や他人にされたら嫌なくせにしたくもない自虐や
結構自分のことが好きな自分を失くすという自分へのウソ。
もしかしたら、わたしが「自分を洗脳」していたかもしれないです。
自分を抑えて、自分を蔑んで、自分を低く見るようなこと。
まさに、自分で自分を洗脳していた話。
自分自身にうそをついていたとに気づいたこと。【2020年2月2月16日の記事「自分に嘘つき」】
今は、こういうことに気づいてよかった。
自分のことを考えて、ここで言語化する場所ができて良かった。
ここで思い切って自分のデコボコっぷりを曝け出すことができるようになって良かったです。
あらためて、
そんなブログ『世界のどこかでまた会おう~たとえ近所のお店でも~』にお立ち寄りくださり、
本当にありがとうございます♪
by citron

家に辿り着くまであとちょっとのところで…👣
はい、かわいいですぞ🐈