自分の作り出したもので祝う、人生を彩る、大したことなくていい♪

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うさぎ年のお雛様

夜なべでちまちま作りました

楽しい気分で

 

 

2000年代生まれの人とゆったりとお話ができる機会があったら、ぜひ。

 

遠くから見てふわんとした空気が、その人の全体、特に足元にふわんふわんと感じます。

 

おもしろいのは、どこの国の2000年代生まれさんも共通しているところがある。

そう勝手に判断しています。

【勝手なcitron説より】

3か月一緒に働いた22歳のドイツ人女性。

ランチタイムやロッカーで会う機会の多いよくしゃべる予約担当部のフィリピン系現地人女性20歳。

ハウスパーソン(客室に必要な備品やリクエストの品を届ける)寡黙な笑顔でいい仕事をする中国系男性20歳。

他にも2000年代生まれさんは多くいます。この人たちは、仕事にかんしては淡々と、自分の権利もきっちりと理解しています。

28歳イタリア人女性とドイツ人男性は「働く」ことについて、例えば仕事をするうえで突然の指示に潜む理不尽さやその前にすべきこと、働く姿勢についてわたしと気が合います。やっぱり「こうすべき」「こうして当然」こういうものが先立ちます。その上で、わたしは、べき、当然、を見直す気づきを得ている最中の人間ですので、違いがみえてくるというわけです。

どなたも話をすると雰囲気もやわらかいです。

仲良くもなっているので、少々馴れ馴れしく口を悪く言えば、

余裕をかましているかのような、ね。

心はここにあるのか?のような、

風船🎈に向かって話しかけるような、ね。

1900年代を生きてきた自分たちと比べた生きざまとの違いに苛立ってはいけないのが、わたしたち古い価値観を引きずる大人たちです。

そうなんです、わたしも。

わたしはちょっとちがうと、認めたくはないけども、どっぷりつかっていた事を身に染みています。

こちらに来る前の数年は、学び直したい、などと言っていたくせに何を学び直したいのか、明確には分かっていなかった。ただ、学び直したかった。身に染みついたものはなんか違うんじゃないか?というものを引っ剥がしたかった。言ってみれば、高校卒業後の進路を辿る時には、何やら違う方向が心には潜んでいたのに、押し潰していたと気づいてしまった。社会人になってからは、本当は、自分の周りに存在した違和感ある人々を何とかしたかったけど、そんなことより自分をなんとかしたかった。このまま教育現場から命ぜられる、または見えない圧力でわたしの言動を抑えたうえでの伝達事項をなんとかわたしなりの解釈で目の前の子どもたちを説得して教育するのは、無理があるんじゃないか、それは、わたしの独断による行動では変えられないのではないか。学校運営に背くだけの人。自分だけ子どもにいい顔するだけの人になってしまう。子どもやおうちの人にいい顔がしたいわけじゃないことは自分の口では弁解できない。今の時代を生きるために生まれてきた子供たちがのびのびと生きられない。自分で考える楽しさを解放する大人でいるには?

頭の中にだれにでもやわらかい発想製造エリアがあるとすれば、そこに壮大な世界が広がっていてのびのびとして確かに多くの才能とパワーと思いをすでに蓄えているはずです。2000年代生まれの子たちにはもうそれはそれはものすごく蓄えられて、生まれてくるときに携えてきたものがある気がしています。

その姿を見せてくれるのは、目が覚めた人同士が出会えた時だと思うのです。

どっぷり目をつぶって眉間にしわを寄せるほどの思いがあっても、ぬるま湯の中で眠っている心地良さを手放したくなかったですから、目を開けた時のすーすーする心地ときたら。風吹きすさぶ荒野に立ちはだかった肌感ときたら。すっぽんぽんです。

 

けれども、やっぱりわたしは目を覚ましていきます。

 

突然ですが、

温暖化と気候危機と脱炭素の、ん?んん?

2014年度、中学2年生とこんな話し合いをしたことがありました。

文部科学省の先生が参観される中。

この話し合い、結論が出たんでしたっけ?

どなたか覚えていますか?

ゼロにはできないから、減らすには?という話し合い。

あれから大雑把に約10年。

「結局、結論を出さずに済んだ話し合いだったよ」だといいなと今は正直に思っています。

脱炭素?

石炭工場の見学をしたとき、不勉強を思い知らされつつ、可能性や選択肢のある日本は尊いなと感じたのが正直なわたしです。

世界が騒ぐほど、危機なのか?と教師としては???なわたしでした。

 

あなたたちの出番です。

本当のことを感じているあなたたち。

日本の本当のすばらしさ。

1900年代の時代の流れをワイドショー的に知っていなくても、いい。

もうとっくに「次はこうなる」世界に向かっているのが2000年代生まれの人たちの感覚です。

日本が素晴らしいことを成し遂げると金メダルを取るとルールを変えてくる世界のどこかからの圧力。

こういうことはよくあります。

身近にもあります。

わたしはそういうずるい感覚が好きではありません。

本当に身近にもあります。

わたしはどちらかというとルールは少ないほうがいい。

少ないルールの中で、支え合う感じが好きです。

そういう状況を経験したことが、わたしの中のどこかであって人間が生き生きしていた自分もその中にいていいんだという受け入れられている感覚が心地よかったことを覚えています。

 

あら?わたしはなにをぼやいているんだろ。

 

桃の節句、日本の良さ。

 

ではね。

しとろん🍊