麻の葉の意味に
「子の成長」
みんな成長は止まらない
生きてる限り
成長が止まるのは死を迎えた時
という言葉を最近学びました。
30代後半のあたりから、(どうしても学び直したい…わたしの頭の中取り換えたい!)人生のなんらかを、授業運営のアップデート(その時代、目の前の生徒さんに合った方法)を、思考の言語化を、繰り返し自問自答していました。もんもんと…
ひとつひとつこれまでのわたしなりの奇怪な?!言葉、心の中にはあってもうまく言葉に変えられなかった「わたしなりの思考の言語化」、その答え合わせが始まっています。
それは正解だった間違ってたという判断の○×方式では無くて、(あぁ、そういう言い方をすればよかったのか!)という別解答欄から「わたしなりの思考を的を射た言語にする」手立てを知る感覚です。
わたしは、どうも変なんです。
このブログでも判るように
わたしの学級通信を読んだことのある人たちもご存じのように
わたしと手紙のやり取りをしていた友人の溜息も漏れ聞こえつつ
言葉を書き記すことも、
声にして伝えることも、
あー、的外してる…!
なにかバシンと的に命中してないんです。
そして独りよがりな自己満足以内の発信力で収まっております。
(この際、娘のクラブ活動と一緒にアーチェリーやってみようかなぁ…なぁんてねっ)
今回も思い出したことがあります。
15歳の女子の果実さん【2003年度頃の卒業生です】。
卒業間近、掃除時間の終わりころのおしゃべりの中でした。
「…生きるのってなんのためですか?」
静かに落ち着いた物腰で穏やかに話す彼女から、不意の言葉でした。
そしてわたしも咄嗟に出た言葉で返しました。
「わたしは、死ぬために今生きてるって考えているんだよ。」
こんな言い草…!
卒業間近のこの女子生徒さんに、果たして伝わったのでしょうか。
今も内心(大丈夫だったかな…)とあの時の状況を思い出そうとするのですが、あの日の穏やかな昼下がり、周りの掃除終了の騒々しい廊下で、和やかな会話中に「死」という言葉を挟んで口を突いて出たのですが、わたしは妙に穏やかに答えたのでした。その生徒さんも穏やかなままだったことは覚えているのですがわかりません。
わたしの言いたかったことは単純なのです。今も変わらないから。
だから、あのときも間髪入れず答えたのだと分かっています。
死ぬ瞬間、(良い人生だった)と言えるような日々を作って生きていたいです。
全然、豪華絢爛、華やかな物品や人間関係、身分は頭に浮かんでいません。今も。
生死の一大事
しょうじのいちだいじ
自分をちゃんと知ることに関心が向かっているのだと思います。
「死ぬこと以外はかすり傷」というあったかい言葉を知った時もじんわりしました。
愛情に満ちた手で手当される気持ちになる言葉に感じたからです。
明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは
親鸞聖人の説かれた話を少しずつですが、心が知っていくという感覚のこの頃です。
他多くの宗教を持つ人たちと接しながら暮らす中、わたしが日本で身につけていたこの感覚言動所作は(そういう事だったのか)とつながっていくことがあり、この国にいることは有意義な気がします。自分の足りなさにも出くわすからです。
大学のころ通った教会での聖書の勉強
アメリカのホームステイ
この国に上陸して勧められた聖書のクラス
その時々の熱心な教えに導かれる機会は数々あったのですが、どうしても収まりきらない感情があった事実に、今はもう気づいています。
生きているうちに自分は幸せと感じていいんだ
幸せを感じたらあとは感謝して生きるんだ
他人はそれを邪魔しない
最後の晩餐は「いつものごはん」で
最後の骨は「実のなる木」の栄養に
その木がもしも
実り続けたら
まだまだ人様のお役に立ちたいわたしの意地
虫が食ったら
虫の栄養源としての貢献
朽ちたら
ようやく成就したってこと
成仏完了!
☝そんなことを言ってはいますが、日々日毎の暮らしで精一杯よ…
だからこそ、
はい
「いつもどおりに」

「ネリーさんのようにね!」
と日本から母(息子娘のばあばちゃん)も言っております。
そう
あとは気楽に心地よく、ということで。
【いびつアート】

フリクションペンの下書きが
ヘアドライーヤーの熱で
ふーーーっと吹いて消えるみたいで
ものすごく感動したんです!
この下書きもいずれ
ふーーーーっと吹き消す予定です。
たのしみ!
by citron